判例研究「回向院事件」

※本稿は、忠岡博税理士が2009年9月に日本税法学会の関西地区研究会で報告し、税法学562号に収録された判例研究に、加筆したものです。

判例研究「回向院事件」

宗教法人の動物供養施設と固定資産税     税理士 忠岡 博

宗教法人の動物供養施設と固定資産税

東京高裁平成20年1月23日判決(平成18年(行コ)第112号、固定資産税・都市計画税賦課処分取消請求控訴事件、LEX/DB,25400332)

はじめに

本件は、「回向院事件」と呼ばれている。江戸時代から相撲興行と動物供養の寺として知られている東京都墨田区両国の浄土宗寺院・回向院の境内にある宗教施設内に設置された動物の遺骨を安置するためのロッカーとその敷地部分について、課税庁である東京都墨田都税事務所長が、地方税法348条2項3号および同法702条の2第2項により非課税の対象とされる「宗教法人が専らその本来の用に供する宗教法人法第3条に規定する境内建物及び境内地」には該当しないとして、固定資産税および都市計画税の賦課処分を行った事件である。回向院がこれを不服として提訴し、本判決はその控訴審判決にあたる。「信教の自由」の視点からではなく、税法の視点から、この判決について考察してみたい。

1 事実の概要

事実の概要
東京都墨田区に所在する浄土宗寺院である宗教法人Xは、1657年の創建以来、宗教活動の一環として、動物の供養を行ってきた。寺院の境内にある昭和37年建立の回向堂および昭和57年建立の供養塔は、その動物供養のために使用している。

ところが、課税庁Yは、平成15年8月5日にこれらの不動産の現地調査を行い、これらの建物の内部に、中央の仏像を取り囲むように諸動物の遺骨を安置したロッカーが置かれていることを確認し、当該ロッカー部分は、地方税法348条2項3号および同法702条の2第2項により固定資産税および都市計画税の非課税の対象とされる「宗教法人が専らその本来の用に供する宗教法人法第3条に規定する境内建物及び境内地」には該当しないとして、平成16年6月1日付で平成16年度分の固定資産税および都市計画税の賦課処分を行った。

これに対しXは、同年7月21日に東京都知事に対し審査請求を行ったが、東京都知事は、同年11月30日に本件審査請求を棄却する裁決を行ったため、Xは、平成17年2月15日に東京地裁に提訴した。

東京地裁は、(1)動物の遺骨の保管や供養を行うことと、人の墓地の設置や法要を行うことでは、社会通念上、その宗教性についての評価には違いがあること、(2)Xによる動物の遺骨の保管行為が民間業者の行う動物霊園業と類似していることを挙げ、Xによる動物の遺骨の保管行為を固有の宗教目的活動と評価することは困難であるとし、したがって、当該ロッカー部分を、地方税法348条2項3号および同法702条の2第2項に規定する非課税対象には該当しないものと判示した(東京地裁平成18年3月24日判決)。

これに対し、Xはこれを不服として控訴した。

控訴審におけるXの主張は次のとおりである。

地方税法348条2項3号がいう「宗教法人が専らその本来の用に供する境内建物及び境内地」とは、宗教法人法3条により、その施設について、宗教法人が専ら「宗教の教義をひろめ、儀式行事を行い、及び信者を教化育成する」用に供していたかどうかで決めるべきである。Xは、1657年の創建以来、連綿と、本来的宗教活動の一環として動物供養を行ってきたものであり、回向堂および供養塔もその活動のために使用している。Yは回向堂・供養塔の一部であるロッカー部分を不自然に切り分けて固定資産税等の課税対象とするが、回向堂、供養塔は、ロッカー部分も含めて一体として設計され、一体としてXが専ら宗教活動のための施設として使用してきたものである。また、民間業者と類似の事業を行っている公益法人が公益法人税制を租税回避的に利用していることに対して、民間企業と当該公益法人を同列に競争させよとの論(イコール・フッティング論)があるが、本件の場合は、民間業者のほうが公益法人と類似の事業を行っているのであって、Xが江戸時代から連綿と行ってきた動物供養という本来的宗教行為について、これに追随する民間業者が出てきたことをもって、宗教法人が「専らその本来の用に供する」ものでなくなったと解するのは不合理である。

一方、Yは次のとおり主張した。

人に対する供養と、動物に対する供養とでは、社会的評価において顕著な差異があることは明白である。非課税の対象となる固定資産は、本来的「宗教」活動に使用されるものに限定される上、たとえ宗教的意義を有する行為であっても、同時に民間事業者の実施する「収益活動」類似の行為としての性格を併有する行為の用に供する固定資産は、地方税法348条2項3号の「専らその本来の用に供する」ものとはいえない。宗教法人法84条は、公租公課の賦課徴収に関する宗教法人に対する調査については信教の自由を妨げることのないよう留意する旨を定めているから、非課税規定の適用に当たっては、各宗教の個別の教義に対する子細な調査を前提としていない。したがって、社会通念に照らして、社会共通の認識としてあらゆる宗教に共通の中核的要素を基準として、客観的に判断することが求められる。すると、動物の遺骨の保管行為は、心情的に宗教的な意義を見いだすことができるものであっても、本来的な客観的な宗教行為であると社会的に認知される状況にはない。また、本件のロッカー部分については、仏像の安置部分と物理的に区別できるものであり、両者が不可分一体となっていてこれを区別して評価することができないというような事情も認められない。さらに、Xが行う動物の遺骨保管事業は、民間業者が行う動物霊園事業と施設の外形、提供するサービスの内容、料金設定が類似しており、その料金は対価性を有するから、非課税の優遇措置を受けるべきではない。

(挿絵:歌川広重「両国回向院元柳橋」)

2 判決の要旨

判決の要旨をまとめると以下のとおりである。裁判所は、以下のような理由により、一審判決を取り消し、Xの請求を認容した。

なお、Yはこの控訴審判決を不服として上告したが、最高裁は、平成20年7月17日にこの上告を受理せず棄却したため、本控訴審判決が確定した。

(1)地方税法348条2項3号の非課税該当性

判決の要旨

地方税法348条2項は、固定資産税の非課税の対象を規定し、その3号で「宗教法人が専らその本来の用に供する宗教法人法第3条に規定する境内建物及び境内地」を非課税の対象として掲げている。また、宗教法人法3条は、境内建物とは、宗教法人の目的である「宗教の教義をひろめ、儀式行事を行い、及び信者を教化育成する(1)」ために必要な宗教法人に固有の建物および工作物をいい、境内地とは、同じく宗教法人の目的のために必要な宗教法人に固有の土地をいうものと規定している(2)。したがって、その境内建物および境内地が地方税法348条2項3号にいう「宗教法人が専らその本来の用に供する境内建物及び境内地」に該当するかどうかは、その境内建物および境内地の使用の実態を社会通念に照らして客観的に判断することとなる。

Xは、江戸時代の開創以来動物の供養を行ってきたこと、Xにおいて動物の供養を行うことが世間一般に広く受け入れられ庶民の信仰の対象となってきたこと、回向堂および供養塔において動物の遺骨の安置をするとともに毎日勤行で動物の供養を行い、月1回あるいは年3回の動物供養の法要を行っていることから見れば、回向堂および供養塔は、本件ロッカー部分のみならず、その敷地部分も含めて全体がXが専ら宗教目的に使用する施設であって、その宗教活動のために欠くことができないものであるということができ、地方税法348条2項3号の「宗教法人が専らその本来の用に供する宗教法人法第3条に規定する境内建物及び境内地」に該当するものと認められる。

Yは、人に対する供養と動物に対する供養とは社会的評価が大きく異なるとして、回向堂および供養塔は「専らその本来の用に供する」ものといえないと主張するが、Xにおいては、江戸時代の開創以来動物の供養が長い年月にわたって行われてきたものであり、宗教活動が継続され、社会的にも定着して現在に至り、その間、地域住民からも動物供養の寺として厚い信仰の対象とされてきたこと、また、動物を供養するための宗教施設として回向堂および供養塔が建立されてきたことが明らかであり、回向堂および供養塔は、客観的に見て、その宗教性について社会的な認知が得られているということができる。また、Xの使用実態については、寺の案内のしおりの記述や、これらの客観的状況から、特別に強制的な子細な調査をしなくても、客観的に判断することができるものである。

脚注
(1) 宗教法人法2条。
(2) 具体的には、宗教法人法3条に、本殿、拝殿、本堂、会堂、僧堂、僧院、信者修行所、社務所、庫裏、教職舎、宗務庁、教務院、教団事務所その他宗教法人の目的のために供される建物および工作物、またそれらの存する一画の土地が例示列挙されている。

(写真:回向院動物供養塔)

(2)民間業者の事業との類似性

民間業者の事業との類似性
Xは、民間のペット霊園が多数開業する以前の昭和37年からロッカー形式による遺骨の安置を開始している。また、浄土宗以外の教義・作法による供養は行っていない。さらに、回向堂および供養塔のいずれも、動物の遺骨を安置した本件ロッカー部分が仏像を取り囲むように配置され、その間に間仕切りはなく、空間的には仏像と不可分一体の構造として設計されていること、基本的には合祀を勧め、合祀については管理費等の費用は一切かからないこと、広告宣伝は一切しておらず、リベートを伴う民間業者の紹介にも一切応じていないこと等、民間業者との相違が認められ、これらの事情を考慮すると、Xが年間定額制で動物の霊の供養料を徴収していることをもって、Xの行う動物の安置保管が民間業者の行う霊園事業と同様の営利的なものとまではいうことができない。たとえこれが法人税法上の収益事業に当たるものであっても、そのことが直ちに地方税法348条2項3号の非課税該当性を否定するものではない。

(挿絵:歌川広重「東都名所両国回向院境内全図」)

3 判決の検討

(1)固定資産税非課税の根拠

判決の検討
はじめに、「宗教法人が専らその本来の用に供する境内建物及び境内地」が、なぜ固定資産税の非課税対象となるのかを考えてみたい。

地方税法348条2項3号が、「宗教法人が専らその本来の用に供する境内建物及び境内地」を非課税対象と規定している根拠は、明らかではない。歴史的には、固定資産税の前身である地租が宗教用実物資産を非課税としていたことに端を発しているようではある(3)。しかし、地租が宗教用実物資産を非課税とした理由は定かではないし、地租は、何も宗教用実物資産だけを非課税としていたわけではない。また、地租が土地の賃貸価額を課税標準として課される収益税であったのに対し、現行の固定資産税は、固定資産の価格を課税標準として課される財産税である。したがって、地租の課税・非課税の原理がそのまま現行の固定資産税に引き継がれていると、ただちに結論づけることはできない。

いまも述べたように、現行の固定資産税は財産税である。固定資産を課税客体としていること、その価格(適正な時価)を課税標準としていること、居住用財産、空地、空家等の非収益資産に対しても課税されていること、赤字企業の資産にも課税されていること、市街化区域農地が土地の資産価値によって課税されていること、台帳上の所有者が納税義務者となること、応益的性格を有する税であることがその根拠として考えられる(4)。

しかし、従来は、地方税の専門家の間では、固定資産税は収益税ないし収益税的財産税であり、したがって、課税標準となる価格は収益還元価格であるべきであるという見解が有力であった。その根拠として、シャウプ勧告が、課税標準たる土地・家屋の計算の基礎として賃貸価格の見積額を用いたこと、さらには、固定資産税における土地の評価額は長年の間土地の価格を著しく下回る水準に据え置かれてきたことなどが挙げられてきた(5)。たしかに現在の固定資産税は財産税としての性格が強いものになっているが、本来、その担税力として想定していたものは、その固定資産が持っている収益力であろう。固定資産税は、土地・家屋などの固定資産というストックを保有していることに対して課税するのではあるけれども、そもそもは、そのストックがフローを生み出す力を持っているがゆえに、そのフローに担税力を見いだして、フローを生み出すストックの保有に対して課税しているものと思われる。つまり、保有するストックの大きさを測定することで、そのストックが生み出すフローの大きさを測定できるがゆえに、ストックである固定資産の価格を課税標準としているということができるであろう。そのことは、課税標準となる固定資産の価格が収益還元価格であっても、適正な時価であっても、同じことである。シャウプ勧告も、「収益還元価格は、資産が自由市場で売買されるとした場合の価格に大体等しい」と述べている(6)。したがって、固定資産税は、財産税となった現在も、ストックにではなく、フローのほうに担税力を見いだして課税しているということができるであろう。

したがって、固定資産税は、同じ財産税であるたとえば相続税などとはかなり性格を異にしているものと思われる。相続税も財産の時価を課税標準としてはいるが、しかし、相続税は、その課税によって財産(ストック)そのものを削り取って再分配することを予定している。つまり、相続税は、ストックそのものに担税力を見いだして課税しているのである。

そのように考えると、地方税法348条2項3号において、「宗教法人が専らその本来の用に供する」境内建物や境内地を非課税対象とした理由は想像に難くないであろう。「宗教法人が専らその本来の用に供している境内建物及び境内地」は、それ自体に収益力がなく、担税力を持たないことが理由であると思われる。もともと信者が金員を喜捨したり献金したりするのは、あくまで宗教行為であって、課税されることを予定したものではない。担税力のあるフローではないのである。

たしかに、宗教法人であろうと他の団体であろうと、どのような団体であっても組織を維持するためにはコストが必要であり、固定資産税もそのようなコストのひとつであるという考え方もあるであろう。しかし、仮に宗教法人が宗教行為のために用いる境内建物や境内地を課税の対象にすると、その宗教法人は、別途、納税のための資金を調達しなければならない。担税力を持たない財産にまで課税することを、もともと法は予定していないであろう。

脚注
(3) 石村耕治『宗教法人法制と税制のあり方』(法律文化社、2006年)31頁参照。
(4) 占部裕典(監修)『固定資産税の現状と課題』(信山社、1999年)15頁参照。
(5) 同。
(6) 同。

(挿絵:歌川広重「両国花火」)

(2)本判決と本件第一審判決との相違

本判決と本件第一審判決との相違
さて、本判決は、本件の第一審判決とは逆の結論となり、Xが勝訴したが、そもそもこの結論の違いはどこから導き出されたものであろうか。

第一審判決は次のように述べている。「地方税法348条2項3号の規定は、宗教法人のもつ社会的意義等にかんがみて、固定資産税の非課税措置を定めたものであるといえるが、他方、それが特定の団体に対する優遇措置としての性格を有することも否定し難いのであるから、租税の公平な負担という観点をも考慮すると、宗教活動に関連するとの理由で同号の適用が無制限に拡張されるような解釈をするのは相当ではなく、当該境内等の使用実態がどのようなものであり、そこで行われている活動が、世俗的な活動と異なる活動をどの程度持っているのかといった点を勘案した上で、社会通念に照らし、当該建物等が、同号にいう『宗教法人が専らその本来の用に供する境内建物及び境内地』に当たるかどうかを客観的に判断していく必要があるものと解される。」

つまり、第一審は、その宗教法人がその施設で行っている活動が、世俗的な活動と異なる活動をどの程度持っているのかという点に着目している(7)。その上で、動物の遺骨の保管や供養を行うことと人の墓地の設置や法要を行うことでは、社会通念上、その宗教性についての評価に違いがあること、および、Xの行う動物の遺骨の保管事業が民間事業者の行っている動物霊園事業と異なる顕著な宗教的特徴を有しているとはいえないことから、Xの事業を固有の宗教目的活動と評価することはできないと結論づけたのである。

これに対し、本控訴審のほうは、その境内建物および境内地が地方税法348条2項3号にいう「宗教法人が専らその本来の用に供する境内建物及び境内地」に該当するかどうかは、その境内建物および境内地の使用の実態を社会通念に照らして客観的に判断すべきであるとし、「社会通念」という言葉を用いてはいるものの、世俗の活動のような他者と比較するのではなく、本件ロッカー部分およびその敷地部分が、地方税法348条2項3号の「宗教法人が専らその本来の用に供する宗教法人法第3条に規定する境内建物及び境内地」という文言に該当するかどうか、そのことのみをテストしている。具体的には、本件ロッカー部分を含む回向堂および供養塔が、宗教法人法2条にいう「宗教の教義をひろめ、儀式行事を行い、及び信者を教化育成すること」という目的に照らし、同法3条にいうようにこの目的のために必要な宗教法人に固有の建物、工作物、または土地に該当するかどうかを丹念にチェックしている。その上で、Xが江戸時代の開創以来動物の供養を行ってきたこと、Xにおいて動物の供養を行うことが世間一般に広く受け入れられ庶民の信仰の対象となってきたことに着目し、さらに現在もなお回向堂および供養塔において動物の遺骨の安置をするとともに毎日勤行で動物の供養を行い、月1回あるいは年3回の動物供養の法要を行っているという実態と照らし合わせて、本件ロッカー部分およびその敷地が、専ら宗教目的に使用する施設であって、その宗教活動のために欠くことができないものであると判断したのである。

本控訴審判決と第一審判決のこの結論の違いは、両者のスタンスの違いによるものであろう。

第一審判決は、地方税法348条2項3号の規定を、「宗教法人のもつ社会的意義等にかんがみて、固定資産税の非課税措置を定めたもの」であるとし、「特定の団体に対する優遇措置」であると理解している。それゆえに、同号の適用が無制限に拡張されるような解釈をするのは相当ではないとして、「専らその本来の用に供する」の意味を、狭義に、限定的に捉えようとしたのである(8)。そのために、当該境内等の使用実態がどのようなものであり、そこで行われている活動が世俗的な活動と異なる活動をどの程度持っているのかといった点を勘案し、社会通念に照らし合わせる作業を行うことになった。

それに対し、本控訴審判決は、地方税法348条2項3号の非課税規定を、宗教法人に対する「優遇措置」だとは捉えていない。この規定の趣旨には言及せず、あくまで条文の文言を文字どおりに理解している。

この判決は、地方税法348条2項3号の趣旨には言及していないが、先に考察したように、この非課税規定が、固定資産税の課税根拠とする担税力の有無という観点から導き出された当然の帰結であれば、けっしてこれは宗教法人に対する「優遇措置」ではないであろう。そう考えるならば、本控訴審判決のほうが、第一審判決よりも妥当な考え方であるということができるであろう。

脚注
(7) 酒井貴子「ペット等の遺骨の保管施設が固定資産税等の非課税資産に当とされた事例」判例速報解説-TKCローライブラリー租税法(No.7)(2008年)3頁参照。
(8) 服部弘・菅原万里子「ペット供養施設に対する固定資産税課税の問題点」税理51巻13号(2008年)105頁参照。

(挿絵:落合芳幾「回向院の晩鐘」)

(3)「社会通念」という判断基準

「社会通念」という判断基準
本控訴審判決も、第一審判決も、本件ロッカー部分およびその敷地部分が宗教法人の「専らその本来の用に供する」ものに該当するかどうかの判断に際して、ともに「社会通念による」という言葉を用いている。

しかし、そもそも何をもって「社会通念」というのか、その意味ははっきりしない。同じ「社会通念」という言葉を用いていても、その意味合いは両判決でまったく異なっているのである。

本控訴審判決は、「社会通念に照らして客観的に判断すべき」ことを示唆してはいるが、実際は、Xの歴史を辿って、Xが江戸時代から現在に至るまで動物の供養を宗教行為として連綿と行ってきた事実を、客観的に事実として認定したにすぎない。実際の判断は、まったく「社会通念」に依存していないのである。

一方、第一審判決は、宗教性の有無の判断を、実際に「社会通念」に照らして考察している。具体的には、人に対する供養と動物に対する供養とでは社会的評価が大きく異なるというYの主張に対し、第一審判決は、「社会通念」を理由にこの立場を支持している。すなわち、たとえば墓地については地方税法348条2項4号で固定資産税が非課税とされている他、人の墓地の設置や埋葬行為については墓地、埋葬等に関する法律が制定されており、埋葬または焼骨の埋蔵は墓地以外の区域で行ってはならないとされている等の規定があるのに対し、動物の遺骨の保管や埋葬行為の場合、地方税法上これを直接非課税とする規定はなく、動物の遺体の処理についても現行法上特段の規制がなく、宗教法人が行う動物の遺骨の保管が法人税法上収益事業に当たるとして課税される場合があるのは、「社会通念」上の宗教性の評価に違いがあることに基因していると第一審判決は述べているのである。

たしかに、第一審判決がいうように、「社会通念」によれば、人に対する供養と動物に対する供養とでは社会的評価が異なるということが可能なのかもしれない。しかし、これとは違った見方もまた可能である(9)。動物の遺骨の保管にどの程度の宗教性を見いだすかは、個人個人の信仰によって個人差があるものであり、それを押しなべたような「社会通念」によって宗教性の大きさを判断することはできないであろう。

そもそも、宗教法人が宗教行為として行っていることを、課税庁が「これは社会通念上、宗教行為ではない」ということが認められるのであろうか(10)。そもそも、地方税法348条2項3号の規定は、課税庁にそこまでの判断を要求しているのであろうか。地方税法348条2項3号の規定は、あくまで「宗教法人が専らその本来の用に供する宗教法人法第3条に規定する境内建物及び境内地」に対しては固定資産税を課すことができないということを定めているだけである。課税庁が判断すべき要件は、文字どおり(1)宗教法人であるか、(2)本来の用に供しているか、(3)宗教法人法3条に規定する境内建物または境内地であるかの3点だけである。それ以外の判断、たとえばその宗教法人が行う宗教行為について、宗教性の大きさを判断することなどはまったく必要がないし、そこには、「社会通念」が介入する余地もまったくないのである。

宗教法人法84条は、公租公課の賦課徴収に関する宗教法人に対する調査について、信教の自由を妨げることないよう留意する旨を定めている。本件の課税庁Yは、これを根拠に、地方税法348条2項3号の適用に当たっては、各宗教の個別の教義に対する子細な調査を前提とせず、社会通念に照らして、社会共通の認識としてあらゆる宗教に共通の中核的要素を基準として、客観的に判断することが求められると主張する。たしかに、課税庁が個別の教義に対する子細な調査を行うことは前提としていないが、そもそも地方税法348条2項3号は、「社会通念に照らして、社会共通の認識としてあらゆる宗教に共通の中核的要素を基準として、客観的に判断する」ことも要求していない。どちらも、信教の自由を妨げることになるであろう(11)。

したがって、第一審判決が基準として用いた「世俗的な活動との比較」もまったく意味のないことであろう。たとえ民間業者が行う動物霊園事業と異なる顕著な宗教的特徴をひとつも持ち合わせていなかったとしても、あくまで「宗教法人が専らその本来の用に供している境内建物または境内地」であるかどうかで判断すればよいからである。

脚注
(9) 櫻井圀郎「宗教の判断基準-行政と「宗教」の問題-」キリストと世界15号(2005年)64頁参照。櫻井教授は、「仏教寺院では、従来から家畜や牛馬に対する供養のみならず、食用に供した魚・牛・豚の供養、家庭で飼育されていた犬猫・小鳥・金魚の供養も行われてきたし、神社でも同様の慰霊祭が行われてきた。このような供養や慰霊祭が宗教的感情に発しているものであることは明らかであり、それらを寺院や神社の宗教行為・宗教活動と捉えるのが平均的日本人の観念であり、社会通念であろう。」と述べている。
(10) 櫻井前掲参照。
(11) 伊藤嘉規「ペットの遺骨保管ロッカー及びその敷地部分が宗教目的に使用する施設とされ、固定資産税等の非課税施設に該当するとされた事例」富大経済論集54巻3号(2009年)322頁参照。

(挿絵:歌川豊国「四代目市川小団次の鼠小僧」鼠小僧次郎吉のお墓が回向院にあります。)

(4)収益事業との関係

収益事業との関係
本件において、Yは、動物の遺骨保管に「対価性」があることを根拠に、本件ロッカー部分およびその敷地部分がの地方税法348条2項3号に規定する固定資産税の非課税の対象に該当しない旨を主張した。

しかし、判決は、Xが民間のペット霊園が多数開業する以前の昭和37年からロッカー形式による遺骨の安置を開始していること、浄土宗以外の教義・作法による供養は行っていないこと、基本的には合祀を勧め、合祀については管理費等の費用は一切かからないこと、広告宣伝は一切しておらず、リベートを伴う民間業者の紹介にも一切応じていないこと等、民間業者との相違が認められることから、これらの事情を考慮し、Xが年間定額制で動物の霊の供養料を徴収していることをもって、Xの行う動物の安置保管が民間業者の行う霊園事業と同様の営利的なものとまではいうことができないと判示した。たとえこれが法人税法上の収益事業に当たるものであっても、そのことが直ちに地方税法348条2項3号の非課税該当性を否定するものではないと判示した。

いわゆるペット葬祭事件(名古屋地裁平成17年3月24日判決、名古屋高裁平成18年3月7日判決、最高裁平成20年9月29日判決)においては、事業の対価性が重視され、それによって、この事件の宗教法人が行うペット葬祭が収益事業であると認定された。法人税法は、公益法人等の所得のうち収益事業から生じた所得については課税を行うことを定めており、対価性のあるペットの葬祭事業がその「収益事業」に該当すると認定されたのである(12)。おそらくYは、この事件が念頭にあり、この事件と本件を同様に考えて、Xの遺骨保管事業にも「対価性」があるから、本件ロッカー部分およびその敷地部分を固定資産税の非課税対象に該当しないものと主張したのであろう。

しかし、そもそも宗教法人に法人税が原則として非課税となるのは、宗教法人の所得が個人への分配を前提にしていないからである。法人税が、個人所得税の前取り的な性格をもった税であるため、個人への分配を前提にしていない宗教法人の所得には、原則として法人税を課す理由がないのである。その上でその例外として、民間業者の事業と競合する収益事業については、適正な競争と課税の公平の観点から、課税することにしたのである(13)。あくまで、その場合においての、収益事業に該当するための判断基準として、裁判所は「対価性」を挙げたのであった。

一方、先に述べたように、「宗教法人が専らその本来の用に供する境内建物及び境内地」を固定資産税の課税対象から除外しているのは、担税力に着目してのことである。法人税の非課税原則とはまったく趣旨が違うのである。したがって、Xの行う遺骨保管事業に「対価性」があっても、それは固定資産税の非課税の適否とは無関係である(14)。たとえ民間業者と競合関係にあっても、そのことが直ちに地方税法348条2項3号の非課税該当性を否定するものではないのである。そのことをはっきり示した本判決は、きわめて妥当な判決であるといえるであろう。

ところで、本件においては、裁判所は、Xが民間のペット霊園が多数開業する以前の昭和37年からロッカー形式による遺骨の安置を開始していること、浄土宗以外の教義・作法による供養は行っていないこと、基本的には合祀を勧め、合祀については管理費等の費用は一切かからないこと、広告宣伝は一切しておらず、リベートを伴う民間業者の紹介にも一切応じていないこと等、民間業者との相違が認められることにより、この事業は民間業者が行う霊園事業のような営利的なものとはっきり一線を画していることを判示した。

しかし、仮に、たとえばXが回向堂および供養塔についての利用を促す広告宣伝を大々的に行ったり、料金表を明示したりして、民間業者が行う霊園事業とまったく変わらない運営をしていたとしても、それでもなお地方税法348条2項3号に規定する固定資産税の非課税該当性は否定されないであろう。いくら民間業者と競合関係にあっても、文字どおり(1)宗教法人であること、(2)本来の用に供していること、(3)宗教法人法3条に規定する境内建物または境内地であることを満たしていれば、固定資産税の非課税該当性は十分に保証されているのである。

脚注
(12) 評釈は、拙稿「宗教法人が行うペットの葬祭の収益事業該当性」税法学554号115頁(2005年)など。
(13) 前掲拙稿120頁参照。
(14) 奥谷健「ペット葬祭事業に使用する建物とその敷地に対する固定資産税」税務QA73号(2008年)55頁参照。

(挿絵:歌川広重「東都両国回向院境内相撲の図」)

(5)切り分けの可否

切り分けの可否
第一審判決は、回向堂および供養塔の中から、動物の遺骨を保管するロッカー部分だけを切り分けて固定資産税の非課税対象から除外するという課税庁の考え方を支持しているが、もともと地方税法348条2項3号の規定は、「部分的に切り分ける」ということを前提としているのであろうか。

たとえば、寺院が境内の一部を駐車場として賃貸していれば、その部分は明らかに「専らその本来の用に供している」とはいえないであろう。都会では、会堂の一部を店舗として賃貸しているキリスト教会なども見かけるが、これも、店舗部分は「専らその本来の用に供している」とはいえないであろう。地方税法348条2項3号を文字どおり読めば、やはり、基準は(1)宗教法人であること、(2)本来の用に供していること、(3)宗教法人法3条に規定する境内建物または境内地であることであり、これに該当する部分と該当しない部分があるのであれば、当然、非課税対象部分と非対象部分に切り分けなければならないであろう。

ただし、本件ロッカー部分とその敷地部分については、(1)宗教法人であること、(2)本来の用に供していること、(3)宗教法人法3条に規定する境内建物または境内地という要件をすべて満たしているから、すべて非課税対象部分である。したがって、本件においては、切り分けの問題はないものといえる。

ところで、庫裏や社務所について、一般の住民に課税し、僧侶やその家族が日常生活に使用するところに課税しないことによって課税の公平性が維持できるか検討の余地があるとする見解がある(15)。僧侶やその家族の住居部分を他の部分から切り分けて課税する可能性を示唆しているものと思われる。たしかに、立法論としては課税の公平性の観点からも検討の余地があるのかもしれないが、現行法の解釈としては、たとえその場所で僧侶やその家族の日常生活が行われていても、そこで日常生活をすること自体が、宗教法人の「本来の用」であろう。したがって、先に述べた3つの要件を満たしているかぎり、非課税対象となるものと思われる。この3つの要件以外の事柄、たとえばその生活がどの程度世俗の日常生活と類似しているか、その日常生活にどの程度の宗教性が認められるかなどは、まったく判断基準として要求されていないからである。

脚注
(15) 高野幸大「固定資産税に係る課税除外」『固定資産税の判例に関する調査研究』(資産評価システム研究センター、2003年)78頁参照。

(挿絵:山本松谷「両国回向院の大相撲」)

おわりに

おわりに
以上のように見てくると、本判決は妥当であると考える。

課税庁Yや、それを支持した第一審判決は、宗教法人が行う宗教行為について、そこに宗教性があるかどうかということまで課税庁が判断するものと考えた。しかし、宗教性の判断は税法がすべきことではないであろう。地方税法348条2項3号は「宗教法人が専らその本来の用に供する宗教法人法第3条に規定する境内建物及び境内地」を固定資産税の課税対象としないことを規定しているだけであるから、非課税の対象となるための基準はあくまで(1)宗教法人であること、(2)本来の用に供していること、(3)宗教法人法3条に規定する境内建物または境内地であることの3点である。課税庁がすべき判断は、本判決が採ったように、この3点について、該当性を事実に即してチェックすることによって、非課税の適否を判断するだけである。